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1/11 鏡開き [日記]

今日は1月11日、ということでキリがいいなぁと思い、今日はなんの日か調べてみました。

今日は、まず鏡開き!だそうです。

◇鏡開き

正月に年神様に供えた鏡餅を雑煮や汁粉にして食べ、一家の円満を願う行事。

武家社会の風習だったものが一般化した。刃物で切るのは切腹を連想させるため、手や木鎚で割ったり、砕いたりする。また、「切る」という言葉をさけて、「開く」という縁起の良い言葉を使っている。

地方によって日が違い、京都では4日に、ほかに20日に行う地方もある。

お正月にお餅で鏡もちをつくってから、今日までで飾る期間は終わりなんですね。
なんだかあっという間な感じがします。
cookpadでおもちレシピが上位にランキングしていたのはそういった理由もあったんですね。
ちなみに、おかきにして食べたり、ピザにしてたべる、麻婆豆腐風にして食べる、など新しいメニューがいろいろ考案されていましたので、普通のお餅の食べ方に飽きてしまった方におすすめです。


お正月の残り大活躍[ぴかぴか(新しい)]お餅で栗きんとん大福  スイーツがお手軽に!
http://cookpad.com/recipe/2945610

**オニオングラタンもち**    チーズの代わりにお餅を使用した一品
http://cookpad.com/recipe/2432262

お餅de トッポキ風 韓国料理のトッポキをお餅で代用
http://cookpad.com/recipe/2459294

ちなみに、明日12日は成人の日ですが、地方へ帰省して成人式に出席する学生さんなどのため、本日成人式を行う地方自治体も多いそうです。
いまごろあちこちで行われていることでしょう。

また調べてみたところ、今日は
◇蔵開き
商売をする家で、新年初めて蔵を開き、商売繁盛を祈る。

○樽酒の日
奈良県の長龍酒造が2009年に制定。
この日は鏡餅を開く「鏡開き」の日であるが、樽酒の蓋を割って開けることも「鏡開き」ということから。

○塩の日
1569(永禄11)年、武田信玄と交戦中の上杉謙信が、武田方の領民が今川氏によって塩を絶たれていることを知り、この日、越後の塩を送ったとされている。この話が、「敵に塩を送る」という言葉のもととなった。

※1.11忌
『路傍の石』等で知られる小説家・山本有三[やまもとゆうぞう]の1974(昭和49)年の忌日。

だそうです。塩を送る、で有名なエピソードは1569年の今日生まれたのですね!

ブログ開設にあたりまして [日記]

2015年1月11日

本日より、ブログ開設のはこびとなりました。本日より、ニュースやトレンドを中心に活動を行っていく予定です。どうぞよろしくお願いいたします。

さて、はじめての記事ですので、ブログタイトルに冠させていたきました、のNikko(日光)の輪王寺について少々ご説明いたします。

※公式HPより引用
http://rinnoji.or.jp/

●日光山 輪王寺とは
比叡山「延暦寺」(滋賀県)に「延暦寺」という建物はありません。
山上山下のたくさんの寺院を統合して「比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)」というのです。
「日光山 輪王寺(にっこうざんりんのうじ)」も同じで、日光山全体を統合していました。
明治の神仏分離以降でも本堂・大猷院・慈眼堂・常行堂・中禅寺・護摩天堂・四本龍寺等のお堂や
本坊、さらに十五の支院を統合して出来ており、その全体を指して輪王寺と総称します。

境内地は大きく分けて、地図中央の「山内」(さんない=標高 約630メートル)と、
地図左の「いろは坂」を登った「奥日光」(標高 約1300メートル)の2ヶ所となります。

●日光山について

日光山は天平神護二年(766年)に勝道上人(しょうどうしょうにん)により開山されました。
以来、平安時代には空海、円仁ら高僧の来山伝説が伝えられ、
鎌倉時代には源頼朝公の寄進などが行われ、関東の一大霊場として栄えました。
江戸時代になると家康公の東照宮や、三代将軍家光公の大猷院廟が建立され、
日光山の大本堂である三仏堂と共にその威容を今に伝えております。

●日光の今昔
明治の頃から日光は輪王寺・東照宮・二荒山神社の三カ所が参詣所とされ、それぞれの境内は、いつも賑わっています。しかし、それ以前は「日光山」としてひとつに包括された関東の一大霊山だったのです。

奈良時代の末、勝道上人によって日光山は開かれました。四本龍寺が建てられ、日光(二荒)権現もまつられます。鎌倉時代には将軍家の帰依著しく、鎌倉将軍の護持僧として仕える僧侶が輩出します。この頃には神仏集合が進展し、三山(男体山・女峰山・太郎山)三仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)山社(新宮・滝尾・本宮)を同一視する考えが整い、山岳修行修験道(山伏/やまぶし)が盛んになります。室町時代には、所領十八万石、500におよぶ僧坊が建ちならび、その隆盛を極めます。

江戸時代、天海大僧正(慈眼大師/じげんだいし)が住職となり、山王一実神道(天台宗)の教えで「家康公」を東照大権現として日光山に迎えまつります。「輪王寺(りんのうじ)」の称号が天皇家から勅許され、さらに慈眼大師(天海大僧正)・三代将軍「家光」公が新たにまつられ、「日光門主」と呼ばれる輪王寺宮法親王(皇族出身の僧侶)が住し、宗門を管領することになりました。法親王は14代を数え、幕末に及びました。

明治になり、神仏分離の荒波を越えて現在の「輪王寺(りんのうじ)」があるのです。

●「三仏堂」 保存修理につきまして
三仏堂は、約50年ぶりの大修理が始まり、一部が仮囲いで覆われたり、通行場所が制限されております。

上述の通り、現在一部施設が修理中のため、観覧ができなくなっております。
しかし、逆に今しか見られない展示物などもあるので、この機会に一度行かれてみることをおすすめいたします。

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